作品の中に手を入れても、作品は壊れず、作品の存在は維持される。作品は、何の変哲もない水の一部だと気が付く。作品は作品自体で存在せず、特別な環境がつくる特異な現象が作品の存在である。
作品は、物体から解放され、日常的にありふれた空気や水、光なども特別な環境によって現象となり、その現象が作品の存在となる。作品は、環境とは切り離せず、環境変化とともに変化する。そして、これまでの物体による存在の様々な常識を超越し、作品は壊れても修復され、逆に、環境が維持されない時、作品はなくなってしまう。作品の存在の輪郭は曖昧で、環境と連続的である。人々の意識は、作品そのものから環境にまで広がっていくだろう。
そして、鑑賞者が動くと、作品の場所と色が変わる。鑑賞者が見ているその作品は、その鑑賞者にしか見えていない。隣の人にとっては、違う場所に、違う色の作品がある。つまり、見えているその作品は、物理世界には存在せず、鑑賞者の認識世界の中に存在する。我々は、このような認識世界に存在する作品を「Cognitive Sculpture / 認識上の彫刻」と呼んでいる。認識上存在する時、それは存在である。